父の日に寄せて -おやじの話ー ⑦

前回までの話

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―大和乗艦―https://www.pal-ds.net/父の日に寄せてーおやじの話ー /

―大和艦内での生活―https://www.pal-ds.net/父の日に寄せて -おやじの話ー /

―レイテ沖海戦―https://www.pal-ds.net/父の日に寄せて -おやじの話ー /

―大和最後の出航― https://www.pal-ds.net/父の日に寄せて -おやじの話ー /

―沈みゆく大和―前編https://www.pal-ds.net/父の日に寄せて -おやじの話ー /

 

ー沈みゆく大和ー後編

 

左へと傾いた艦の体勢を立て直すべく必死の作業が行われ、ようやく平衡を取り戻したのもつかの間、次々と魚雷を受け、さらに被害が拡大する中、左舷中央部に受けたものがとどめの一発となった。

 

後部注排水制御室が破壊され、急激に艦が傾く中、もはやこれまでと、

 

伊藤整一司令長官が「戦闘中止」を命令し、有賀艦長より「総員最上甲板への退避命令」が下る。

 

 

しかし、大半の者にはその命令が伝わらない。

 

 

右艦後部下甲板にて、爆弾、魚雷の被害による防火防水の任務遂行中の私と部下の二名もその命令を知ることが出来なかった。

 

 

しかし幸いにも私のいた右舷は被害が少なかった。

左舷にいた隣の班の戦友達は、魚雷の直撃を受け同年兵一人を残して全員戦死。

 

影すら留めなかった。

 

同年兵は伝令に出ており助かったという。

 

私は船尾から数えると三番目の部屋に部下二名といた。

 

どのくらいたっただろうか、砲火の音も途絶え、あまりにも静かになったので様子を見ようと、真っ暗な艦内を懐中電灯の明かりを頼りに進んだ。

 

隣の部屋にいるはずの指揮官と班長が見当たらない。

 

「班長!」と呼んでみるが、どこからも誰からも返事はない。

 

露天甲板に通じる最後部のマンホールを開けた途端、濁流のごとく海水が流れ込んできた。

 

この時、艦の運命を知った。

急いで引き返して部下二名、通信兵を伴って、濁流をかきわけ必死の思いで後甲板に退避した。

 

息も絶え絶えに腰まで水に浸かりながら、やっと梯子を上って甲板上に出てみると、艦は激しく傾斜し、皆数珠つなぎで舷の手摺に摑まっていた。

 

そしてそこに班長の姿があった。

 

私は無性に腹が立った。

 

そして思わず「貴様、部下を置き去りでそれでも班長か!」と怒鳴りつけてしまった。

 

すると班長は、無言のまま逃げるように短艇格納庫の方へ行ってしまった。

 

その後、その班長の死を知った時、私は班長が甲板を離れてしまったことへの責任を感じたが、他の兵士によると、この時の私の言葉に何かを感じた班長がご自分の弟を助けに行ったことを知った。

 

艦橋を見上げれば、左舷へとひどく傾斜している。

その時、飛行機を射出させるカタパルトが「どーん」と大きな音をたてて根元から折れ、左舷から海中へと飛んで行った。

 

また天蓋のある機銃が砲台ごと甲板上をすべって、これまた海中へ。

 

 

 

ふと見ると、三番主砲の砲台上で一人の士官が日の丸の手拭いを額に締め、手に軍刀を持って立っている。

 

そして軍歌を歌った後、「天皇陛下、万歳」と三唱して海の中に消えていった。

 

 

甲板に集まった兵は、胸まで海水に浸かりながら皆一ヵ所にかたまっていた。

 

その時、どこからか恩賜の煙草一本がまわってきた。

 

一服吸っては隣の人へと回していった。

 

そして皆が吸い終わると、一人、また一人と海中に飛び込んで行った。

 

次は自分の番だなと思っていると、突然「艦を離れたくない」という強い気持ちが込み上げてきた。

 

この時まで自分の中にこのような強い感情が沸き起こるとは思ってもみなかった。

 

それでもその思いを断ち切り、「さあ、行こう」と同年兵と海に飛んだ。

 

前甲板の手摺にまだ大勢の人が摑まっているのが見えた。

 

→生還へとつづく

 

M.